#678 学ぶことについて
評論家の宇野常寛さんが朝日新聞で『学ぶ』ことについて、こんな風に書いていた。
僕が重視するのは、面白さ。
知らなかったことを吸収し、世界の見え方が変わったり、アイデアが浮かんだりした時が一番、快楽の度合いが高いです。
1人で世界に向き合うのは、本来、『耐える』ことではなく快楽。大人が1人で遊べないとしたらダメだと思うんですよ。
( 朝日新聞2002年10月5日朝刊)
何かを学ぶということは自分から何かを求めるということだと思う。
その中で自分で取捨選択して 咀嚼して、それを自分の中で再構成して提出する
再構成したものは、受けた刺激程 完成度は高くないかもしれないけど、
それが自分の中で血や肉となったり、言語とか音楽として吐き出されていくときに、
はじめて、
なんて言うんだろう 一歩でも前に出る(進む?)という快感を人は得るのだと思う。
でもそういった表層的なことは、一度ちょっと得意げになっただけではしばらくすると忘れてしまって、
自分がもう何十年もやってきたルーチンにまた落ちてしまう。
だからまた同じような刺激を受けて、繰り返して、少しずつ学んだり得たことを自分の中に染み込ませていくのだ。
そういうやり方しかない。
だって、僕はクレバーな人間ではないからね。
コツコツ地道にやってそれで駄目ならそれはそれ。
ものにならなかったらまあそれはそれでいいんじゃないのかな。
(実際はそこで畜生とか思っているんだけど、ダメなものはいくらやってもダメなんだよね。
プロのピアニストやギタリストや渡辺貞夫さんになれるわけじゃないしね)
うちの死んだ親父がよく言ってた 殺されるわけじゃないよって。