だからオレは泌尿器科医でおしっことちんちんの医者なんだってば!(2)

生きる速さで書きなぐることができたらいいのだけど・・

#597 2020/09/08の「しんすけsキッチン」

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・鰤(ブリ)のたたき たっぷり薬味
(みょうが、大葉、にんにく、しょうが、ネギ、ポン酢、醤油)
・白ごはん
ロメインレタスカシューナッツとゆで卵のサラダ 自家製ドレッシング
(こちらは削りたてのかつを節をかけて頂く感じにしてるけど、削りたてはやっぱりいいよねえ。)
・ナスと大根と豚肉のビール煮(Staub
(有り余っている期限切れのビールをこうやって料理に使ってるけど、今日はエビスだった。塩と、コンソメキューブと、アンチョビ、ビールでの味付け。)
 
今日もハードだ。
全く、テンションが上ってこない。でもその少ないテンションを増幅して生きていかねばならない。
因業にまみれたヒューマンビーング。ぶひぶひ。
 
そんなわけで、バイオリン・レッスンのあと(ボッサのリズムが取れず壊滅でありましたが)、エミフルで買い物。
 
タサン志麻さんの水切り方法で、ロメインレタスの水分を絞ってみる。
ザルにレタス入れて、鍋で蓋をして、シェイカーを振るみたいに振って水分を飛ばすのだ。
ちょっとキャンプみたいで面白いではありませんか。
ビール煮込みが一番時間かかるので、最初にその工程に着手する。
次が炊飯。
一時は鍋で炊いてたけど、それは続きそうになく、普通の電気炊飯器に頼ってます。
風呂も入れる。スキをぬって犬の餌。
煮込みに関してだけど、
待っている間に「鍋」と「時間」が仕事をしてくれるのだ、と、彼女は語ってたけど、
「鍋」を擬人化した表現はいかしているではないか。
 
なんとか、生きてゆかねば。

#596 夢十夜

Greece

Greece

Middle White Piglets

Parents 5

Parents 3

(写真は本文とは全く関係ありませんけどまあなんとなく選んでみました。)
 
 
異国だ。
 
窓の隙間から乾いた砂埃が舞い込んでくる。夏の陽射しは容赦ない。
われわれはタクシーに乗ってどこかを目指している。えらく古びた、塗装のハゲかけた、凸凹のクルマだ。
S50年代風といえばわかりやすいか。
我々は廃墟のようなところに到着する。瓦礫が積み上げられたような場所だ。
ここになにがあるのか、わからない。
瓦礫の向こうは断崖絶壁で、その先は明るい緑の水と波、そして空が抜けるように青い。
 
「ちょっと、目的のものを探してくるからね、クルマの中で待っててね」
 
そう言って、タクシーの手動のドアを開けて外に出る。
熱気が押し寄せる。
後部の座席に座っている両親の顔は、陽射しが作った影でよく見えない。
 
「だから、バイオリンは預かっておいてね」
そう、親父とお袋に言う。
目的の地を自分がわかっているのかどうかわからないのに自分の足取りは迷うこともなさそうだ。
 
そうだ、これは夢なのだ。
その時気づく。
夢だから正しいも間違いも秩序もクソもなくてもなんら不都合はない。
 
数十メートル歩いて、約束の場所までは歩いていけそうだということだけ確信する。
なので、振り返ってみると、
外国人の運転手が車外に出て、ケースを開け、地面にバイオリンを叩きつけて、踏みつけている。
ついで弓を手にとって曲げている。
音が聞こえないのに、骨折のように弓が折れる音が、自分の腕が折られるように聞こえた。
 
「何しやがるんだ!」
その声が聞こえたのか聞こえないのか、運転手はニヤリと笑って車に颯爽と乗り込んで去っていく。
後には砂煙が残るだけだ。
 
「何やってたんだよ、親父」
と両親を探して、みつけた彼らは、心もとない存在でしかなく、
やがて瓦礫の中の一幅の絵のようになって、風景に溶け込み煙のように消えていく。
 
あぁそういうことだったんだ。
これは夢だからなんでもありなんだよな。
あわよくば目が覚めたらおれのバイオリンが治ってくれますように。
そう思いながら粉々になったバイオリンまでたどりついて、楽器を見下ろしていると、なんだかやはり泣けてきた。
 
この熱気と汗と、砂塵と太陽が、破壊された楽器が夢だっていうのか?
 
 
 
ーーーーーー
 
昨日は、夏休みの読書感想文とはなんの関係もないけど、
夏目漱石先生の「夢十夜」を題材に日本人の監督が10人で作ったオムニバス映画をを久々に観たのだった。
 
それでこんな夢になったのかなと思ってみたりもするけど、
そう思ってみると、
死んだ親父とお袋が2人で並んで立っているなんて姿は久々に見たよ。
自分の病院が開院して1ヶ月でおふくろは癌で死んで、それから親父は一人で生きて、2年前に突然なくなったのだった。
リタイヤーしてからおふくろとゆっくり過ごすおやじの夢はそんなわけで叶わなかった。
でも彼は全き(まったき)を生きたのだと思う。
 
神も仏も、あの世も死後の世界も転生輪廻も、そんなものはないし、
彼らは実際「無宗教」で、自分たちがたてた同じ墓に入っているという事実だけが残った。
オレも手を合わせもしないし墓にも行かないけど、
まぁ、なんというか、お盆てことで、
漱石先生が書かれたように、100年待っていてくださいねと耳元で囁いたあの女の子のことはまだ忘れないようにしようと思ったのでした。
 
「百年、私の墓の傍に座って待っていて下さい。きっと逢いに来ますから」夢十夜「第一夜」・夏目漱石

 

ユメ十夜 [DVD]

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  • 発売日: 2007/08/03
  • メディア: DVD
 

 

 

#595 音楽を続けるということと、my tenor saxと。

 

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いつもお世話になっているY'sカフェのピザ。ここではいつも濃い目のハイボールです。
朝日新聞益田ミリさんのエッセイ「オトナになった女子たちへ」を読む。
「10年分の楽しい火曜日」(2020/08/14)
というタイトルで、週に一回30分のレッスンで10年間続けたピアノをやめたという話だった。
最後にこう結ばれている。
”やめてしまえばまた弾けなくなるに違いない。
でも、はじめる前の「弾けないわたし」と同じじゃないのだと思う。”
 
これはなかなか良い決断だと思う。
 
確かにピアノというか、音楽が教えてくれるものは数限りなくある。
やらなければわからないことはいっぱいある。
そして芸術というものは上を目指せばきりがないし、誰しもが到達できるものではない。
多分人間は 芸術を追求するようには本当はできていないんだと思う。
 
下世話な話をして、うまいものを食って(ジャンクフードでもよろし)、ビールを飲んでぶふぁとか言って、暑いなあとクーラーをつけて寝る、
そんなことだけでもう1日はあっという間に終わってしまうし、それでまずまず満足してしまうのが人間ってものなんじゃないのかな。
例えばセックスが毎日の仕事になってしまって、昨日よりも内容を濃くしたり技術を向上させなくてはならなくなったら、ら誰もそんなものはしたくないだろう。
セックスのご褒美にちょっとした快楽があるから続くのであって、
動物みたいに繁殖のためだけのセックスなら発情期だけでいいわけで、
芸術にもそんな爆発があれば良いのだけど、
やっぱりコツコツやるのがベースであり、
時に爆発に伴う風を引き寄せて永遠に続けていくことが大事なわけで、
そのためにはかなりの 忍耐と克己心 が必要なんだと思う。
 
日常では、怠惰な快楽に人はすぐ流れてしまうし、それはそれで良きことだと思う。
 
また話がずれたな。
 
自分の音楽の話だけど、やっぱりいろんな楽器をやりたかったんだと思うよ。
ある程度の時間と、ある程度の資金力をやっと手に入れることができたから、それも大きなファクターだと思う。
 
そして、
この歳になってやっぱりやりたいことは、子供の頃から興味があったことだというのがまた面白い。
 
これも以前書いたけど、
だいたい人間の基本というのは、趣味とか嗜好とかそういうものも含めて、二十歳までにほとんどがきまっちゃうというようなことを、
坂本龍一さんが言われていて、
まったくまったくまったくその通りなのである。
 
サックスの話を。
 
色々思うところがあって、
ブルースス・プリングスティーンのE ストリートバンドのサックス奏者であったクラレンス・クレモンズさんの手にしていたサックスを欲しいと思い(もう最後のサックスなんだからミーハーでいいじゃんと思いました)、
コロナの最中に島村楽器のKくんに頼んだのだった。
 
一か月以上待ってドイツからそいつは届いた。
アルト・サックスからテナー・サックスに持ち替えようというわけだ。
 
しかし、吹いてみると同じサックス属なのに、やはりでかいだけあって音が全然違うし、音がうまく出ない。
特に低音域は全く酷い代物だった。
アドリブの練習というよりもとにかく低音を出すことばかりを練習していた(練習というほど時間をかけてないのがまたわるいところだけど)、
やっと低いCぐらいまでなんとか2/3ぐらいの確率で出せるようになった。
 
それが今の私のテナーサックスなわけで、
昨日は素晴らしいミュージシャンの方とセッションをさせていただいたりしたわけで、
緊張したり、へまこいたりし、音外したりだけど、非常に楽しい時間を過ごさせていただいた。
これが音楽を止められない所以でもある。
 
10年経ったから止めるだけの勇気を選択される益田ミリさんは清いと思うけど、
彼女にとって、それは次に行くためのおそらくステップであり、
自分はまだまだそこまで到達していないのだと思う。
 
 
 

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フラフラとたどり着いたHanoiCafeのハッタイ。ムチャうまい!酒と音楽と食い物は三位一体であります。

#594 やさしさ

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ビールがとにかくと思い、それなら餃子だと冷凍購入して、ゴーヤチップスとナスの揚げ浸しとサラダを作るそんな夜もある。

 

ダスティンホフマンになれなかったよ」っていう大塚博堂さんの歌があった。
そうそう、S&Gの「hello darkness」がいま頭をよぎって流れてます(笑)。
 
僕たちがガキの頃は、中村雅俊さんの「俺たちの旅」に惹かれて、みんなが彼の役どころである「カースケ」になりたいと思ったりしていた。
優しくなくちゃ人としては駄目だみたいな、今で言うと刷り込みだったのかな?
大人(社会)対若者(自由、優しさ、お金じゃないよ)みたいな構図はわかりやすかったしねえ。
それでもそんなテレビを、いわゆる茶の間で、親の傍らで見てたんだからなんか振り返るとおかしいよね。
そんなに理想通り行くわけないよ、と、何度も親に言われたものだ。
あんたらには何もわからないんだよと、当時はえらそうに反論したけど、穴があったら入りたい。
若い僕らが通り抜けるには、「やさしさ」という言葉は必要不可欠なタームだったのだ。
(ヲイヲイ、何振り返って総括してんだよ、おっさん!)
 
でも優しさってなんだろう?
そして思うに、人が成長するっていうことは何なんだろう?
 
そう思って振り返ってみると(やっぱり振り返るわけですよ)、
自分は他人を成長させることができたのか、
そしてそういう自分自身は果たしてちゃんと成長してきたのかと反芻してみる。
 
もうすっかりわからなくなっている。
 
でも言えるのは自分は決して優しい人間にはなれなかったなということだ。
たとえばその場で、優しい言葉をかけても、
それが本当に優しさから出たものなのかその場限りの取り繕いなのか・・と言われて考えてみると やっぱり後者の方じゃないかと思うことが増えてきた。
だからそんなものは本当の優しさなんかじゃない。
 
じゃあ本当の優しさは なんだんだろう?
例えば若いスタッフを指導する立場として、
長い目で見てその人と一生付き合っていけるか?
その時に彼や彼女たちのことをどのぐらい考えられるのか?
というようなことが本当の優しさなのかもしれないけど、
そんなことはおこがましくって口が裂けてももう言えなくなっちゃったんだよ。
 
ごめんね。
 
昨日、透析室で、「透析ケア」という雑誌をみせてもらう。
「先生の写真が載ってますよ」だって。
奈良県立医大教授・鶴屋先生の寄稿で、
若いとき、原田先生の下で働いていたときの自分たちの写真が掲載されていたのでした。
日赤腎センター時代はもう二十数年前のことだ。
あの頃、部長の原田先生はこう言われた。
「俺たち腎臓屋は、その患者さんの一生と付き合っていくんだよ」
そう今の自分にはとても言いきれそうにないよ。
 
うちの犬がこないだへろへろになって家族みんなで心配したのだけど、
そういう優しさぐらいが自分にできる関の山だなんて、
お盆の初日に思ったわけですよ。

 

#593 新しい世界での新しい形の飲み方?

1杯目ですでにピンぼけ!

1杯目ですでにピンぼけ!
昨日は移転したばかりの日本新薬の事務所で、「タダラフィル」中心にいろんなこと含めての社内講師をしました。
もうこういった形態の講師もこれで最後にしようと思って(偉そうな物言いだな!)、まぁまぁ気合を入れて、自院のデータをまとめてました。
3M分の患者情報をとったけど、力がないので1M分のデータでスライドを作りました。
 
まぁこういうプレゼンとか、データのまとめとか、スライド作りとか、最終的な論文投稿とか、
そんなことを学んだのもやはり医者になってからなので、
いろいろなことを教えてくださった諸先輩方には感謝してますけど、まあ根っからは好きじゃなかったってことなんでしょうね。
なんて言うのかなあ、うん、今時分のやるべきことではないよなあという考えが根底には流れているわけであります。
まあ、頭も良くないので、統計的解析とかあんまり深い解析もできない自分がいるわけで。
それでも自分の処方やら仕事の内容を、こうやってまとめて振り返ってくると、それはそれなりに新しい発見がありました。
臨床医として、そんなに間違ったことやってるわけじゃないよという自信みたいなものを、自分の処方からもらいましたし。
 
1時間弱喋って、質疑応答を受けて、一応終了です。
社員が退席したあと、
コロナなので、
アクリル板で仕切られた会議テーブルを挟んで、
所長と担当の女の子と弁当食って世間話して、自分だけビール飲んで、それで終わりと言う、気が抜けるような解散でした。
 
なので、予定通り、
1人で歩いて堀端の「BOKKE」に行ってビールを飲んで、ローテンションでのスタートでしたけど、
それは自分のこと、
いつのまにか隣の野郎たちの絵を描かせていただいておりました。
絵を描くのはほんとに楽しい行為であります。
そのうちいろんな話題で盛り上がりましたよ。
左利きの話とか、麻丘めぐみの話とか、左利きの差別手術修行の話とか、ブルーハーツの話とか、ブルースハープとか、公務員と独立とか、最後はスナフキンの話とかねえ。
 
「BOKKE」が5周年だったので、その記念の絵も勝手に描いて、オーナー夫妻の写真を撮らせてもらったのですが、
すでに酔っぱらってるせいで写真は完全にピンボケでしたよ。
 
ほんとにコロナになってから酒が弱くなったね。
でも弱い位のほうがいいようも気がするよ。
ということは自分のペースで今まで飲んでなかったんだろうね。
で、その先に向かうわけでもなくちゃんと自宅に帰ってきましたよ。
 
とまあ、これが、新しい世界での、ちょっと寂しい飲み方でしょうかね。
うーん。

#592 夕焼け空は赤い。

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2017/8/4 19:18
デジャブのような日々だ。
 
昼から血をかぶった。止まったと思った血管からまた血は吹き出る。
濡れた雑巾のようになった布で、避けた血管をおさえながらかつて救急車に乗ったこともあった。
そのヒトももういない。
 
小心者なので、びびってはいるのだけど、
そうやって患者さんを前にピンチになっているとき、こんな事は以前にもあったよねあの時どうしたっけって覚めた心で思ってしまう。
一瞬だけ途方に暮れて、醒めた自分の中から色んなものを呼び出して、いつものように愚鈍な頭をフル回転させて解決策を見つけようとする。
だけど、きっと無意識下ではそんなシミュレーションを繰り返してるんだろうね。
 
止まることはできない。
患者さんは待っており、一つ終われば次がまた来る。
こんなことを繰り返して、
最後の最後にハードディスクが止まるように止まってしまうのだろう。
プッツンてね。
That’s all.
 
ブルーハーツの「夕暮れ」と言う曲を聴いた。
 
はっきりさせなくても良い
あやふやなまんまでいいんだ
そう歌われているけどしみるね。
 
何でも答えを求めたがるよね俺たちは。いや君たちも。
そんなことない?
 
夕焼け、夕焼けが美しい、赤、太陽の赤、命の赤。
誰もがちょっとだけ足を止めてしまって眺めるんだろう。
でもそこでぼーっと暮れゆくまでたたずんでいる人もいないよな。
みんなちょっとだけ眺めて自分の世界に帰っていくんだ。
せいぜいすれ違う位だろう。
すれ違うときに何かがそうそう生まれるわけでもない。
そんなことだってわかってる。
 
それでも、夕焼け空は赤い 命のように赤い。
いい歌だね。
いい歌だね。

 

夕暮れ

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#591 音楽の夜だ。

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久々の「ぞーな」の親鶏タレ。



 

昨日は神戸ガレージのセッションだった。
 
相棒が1人いないだけで、なんだかaway感満載ではじめたけど、バイオリンを弾いているとそんなことを忘れてた。
楽しかった。げんきんなもんだな。
 
音楽でも、最後にはplayするのは人間だし、その人たちと気持ちよくやれるってことは最重要である。
うまいへたももちろんあるけどね。
 
昨日、joinさせていただいた楽曲では「嘘は罪」がブルースっぽくってよかった。
彼女のハスキーな歌声のバックでバイオリンを弾ける喜びを噛み締めた。
ナベセンセが楽譜くれて、メインでは「Let it be」弾かせてもらった。
ハトケンさんの「My Way」はラスト近くでゴージャスに盛り上がったな。
 
そしてセッションが終わる。
この余韻は一人で味わうべきだろう。
そうだ。こんなときは、気を使わなくっていい場所で雨やどりだと、
雨に打たれて、ひとりで「ぞーな」に行って鶏を食って、飲んだんだよ。
 
ほんと人間には無駄な時間がたくさん必要だ。
無駄でかつ有益な時間。
そいつは自分で作らないとやってこない。
そうなんだよ、時間ていうのはほんとにかなりストイックに意識しない限り、天井から勝手には降ってこないんだよ。
 
着物の素敵な女性に、
清少納言紫式部とどっちが好きかと言う話を振られたけど、どっちもわかんない。
だけど、清少納言といえば学校で習った「枕草子」で、
自分の書いた歌詞の一部が、
清少納言の「枕草子」からインスパイアされてとったんですよ、と、彼女たちに、自分だけに分かる解説を付けてみたりした。
 
春の宵、
夏の闇、
秋の風、
冬のぬくもり。
 
そうやって季節は巡ってゆく中で、二人は出会って別れて、またやり直そうとするんですよね。
で、二人がこの世から消えて、思い出すヒトが誰もいなくなっても、やっぱり季節はそうやって巡ってゆくんですよね。
「カレンのテーマ」の一節だよ。あはは。
 
音楽の夜だ。