だからオレは泌尿器科医でおしっことちんちんの医者なんだってば!(2)

生きる速さで書きなぐることができたらいいのだけど・・

#663 5W1H

think

■昨日も、頭を使わない人に数人出会った。
 
右から左へ流すことになんの疑問も抱かない人はそこの場所から出ることができないし、その場所に居続けることになんの疑問も抱かないのだろう。
 
「こう言われたんですけど今後はどうしたらいいんですか?」
「これは(データベースの)項目増やしたらいいんですか?」
 
どうしてこうなったのか、だからどうするのか?とか、
データベースの持つ汎用化の意味とかに関してちゃんと考えた上でその提案なの?
個々のシチュエーションの検討は割愛するけど、まあそういうことを言った。
 
そういう輩に限って私は頭悪いからなどと思考停止フレーズで応戦してくるのだけど、
ネジがないのではなく、回転させることを怠っているだけなんだよね。
 
■開業した頃スタッフによくいった。
 
指示を求めるのはわかるけど、
どういった理由でそれをするのか明らかにしてからそれを記載しなさい!じゃないと何も残らないよ。
もしまた同じことがあったときに一からのやり直しになってその度に右往左往するだけでしょ。
 
そしてレトロだけど、新聞記事の5W1Hを引き合いに出した。
これが最低条件だと。
 
その考えは今も変わらない。
 
いつwhen誰がwhoどこでwhereなにをwhatどういった理由でwhyどのようにhowしたのか。
なんてシンプルで力強いフレーズなんだろう。
 
今ではある程度その考えは浸透している(そう信じている)ので、
スタッフはこれこれなんでこうしたいんですとちゃんと言ってくれるし、
カルテにもそう記載してくれるようになった。
 
嬉しいし、そう言ったことを繋いでいくのが教育だとも思う。
 
■自分が何者かなんてわからない。
それは人間存在死ぬまでそうだ。
そしてなしえることなんてちっぽけだ。
織田信長のことだって世界中の人間が知ってたわけじゃない。今になってあれこれ言われてるだけのことだ。
 
でもね、生きているうちには頭をフルスロットルで回せよ!ってことです。
 
まわしてもまわさなくっても、偉くなろうがなるまいが、同じといえば同じだし、
流れ着くところはところは火葬場の灰だってことに関しては誰しも同じだろう。
 
それでも、と、おもう。
 
思わないか?
 
【P.S.】
今、
莫迦は死んでも治らないという言葉がよぎったけど、ほんとか?
ほんとか?
ほんとなのか?

#662 コロナ4回目接種と翌日の朝

朝コロナ打ってもらったの忘れるほど忙しかった。
BONUSの時期がちかづいてくると面接がラッシュになる。もうヘロヘロだ。
ギリギリで音楽教室にいって、性懲りもなく、ピアノの発表会にもエントリーする。
夕方バイオリン弾いてて、なんだか右肩が重いなあと思ったので朝のコロナを思い出した。
 
帰宅して、ホットプレート・餃子の皮で、美味い飯を作って娘と二人で食べる。
牛肉とスライスチーズと大葉、つくねと大葉。
前日作っておいたきゅうりの甘酢漬け。そんなシンプルな料理。
山丹政宗と共にいただく。
そして彼女と共に片付ける。
 
それからサックスを吹いたりする。
だんだん体がぼーっとしてくる。
23時前には寝床に入ったが、その後身の置き場がなく呻吟していたのだと思う。きっと熱があったのだと思う。
 
気だるい体でなんとか起き出し熱を測ると36.9度。まさに微熱老人である。
やたらしんどい、気だるい。右腕は腫れておりずきんずきんする。
病院で熱を測っても同様で、それなのに身の置き所がなく、意を決してボルタレン25ミリを使って診療を開始したのだった。

#661 eBikeでかつてロードバイクで走った道を走り、10年前の自分に会いにゆく。

 
色々試行錯誤して、TREKのeBikeを購入した。
 
たまたま自宅近くにTREK直営店があり、意を決して訪問したら、店員の方の接客も素晴らしく、それですぐに試乗の話になり、後日試乗したら、「この試乗車がお得です」という話になり、あれあれとそのまま購入に至ったのだった。
 
そんなこんなで、以前乗っていたロードバイクの名義変更とか防犯登録とかメインテナンスその他で結構手間取ったけど(休みの日に東署にも行った)、
昨日、やっと以前乗っていたブリヂストンのアンカーを弟子に譲渡したのだった。
 
2010年に購入したロードバイクだった。
 
自分は、運動神経もなく集団で何かやるのも苦手で、運動からは極北にいる男だ。
でも50歳になった時、ロードに乗って自分の力で、アスファルトの上を行けるところまで行ってみたいと思ったのだった。
 
5年くらい前に左肩が痛く、腕が上がらなくなってのを理由に(きっと自分の中で止める理由を探していただけなのかもしれない)すっかりやめてしまった。
不思議なもので、一生上がらないと思っていた肩も、上がるようになり、
家族で行った馬島で、GIANTのeBike借りてしまなみ大橋を走った時に「またいけそうかな」と思った。
でもそれだけだった。
 
今年の桜の頃、岩城島で、山頂の桜を目指した時も、家人の計らいで、家族3人ともeBikeを借りることができて、山の上り坂だけはロードの人を抜いてゆくことも可能だったりした。
そうやって時が過ぎて、自分の中で何かが熟成していってeBikeを購入に至ったのだと思う。
 
ロードの人にとっては電動なんて邪道だろう。
 
でも、半分電動で半分人力で、自分の足で漕がなければ進まないまいのは一緒なんだよね。
クルマで通りすぎてきた風景を、自分の足で見に行けると行為が素晴らしいなと思う。
 
eBike買ってすぐに梅雨入りしたのだけど、合間を縫って、近所のポタリングコースに行ってみた。
もう走ることないと思っていた道を、また7- 8年の時を経て経って走るという行為とその営為に、なんというのかな不思議な感慨を覚えた。
 
自分はもうロードバイクに乗ることはないだろう。
 
だからこの際、もらってくれるといううちのスタッフにリストアして進呈することにしたのだった。
roadとeBikeが同じでは無いにしろ、それはかつて走った道においらを導いてくれている。
 
今はそれがうれしい。

#660 箱の中の彼

 
まいものを食って酒に酔って、毎日自分なりに積み上げる些細なことだって探せばある。
それを満足と言っていいだろうけどまだまだ足りない。
「足りない足りない」と言い続けて、このまま命尽きたとしてもそれはそれでいいのだと思う。
成就なんてないんだからね。
 
仕事は自分が主体ではない。そういうものだ。
自分では、さあ今日は終わりだと思っても、患者さんはコロナになるわ熱発するわ(たとえですよ)、心電図モニターはつくわで(たとえですからねあくまで)心休まる暇はない。
自分だったら諦めてしまえるようなことも、その患者さんにとっては100%のことなんだからね。
 
仕事をしていての満足ってなんだろう?という問いは、
生きていての満足はという問いにもつながる。
でも、前述の旨いもん食って酔ってというシンプルネスが人間にはあるので救われているのだと思う。
カスミ食いながら半坐位のポーズで地球の行く末考えても仕方ないもんなあ。
 
焼き鳥食いてえ!
 
子供が小学校低学年のとき作ってくれた人形を、外来に立てかけていた。
もう10年以上、オレの分身はそこに居た。
先日、決心して、彼女にも許可を得て人形を捨てることにした。
 
箱の中ののことを今朝天啓のようにたた。
外来では立て掛けていたのだけど、家で、絨毯の上において写真を撮ったのだ。
これは墓に入っている男だと。
それが悲しいとかそんなわけではない。
どんなに苦しい死のあとでも、
死んだあとはみんな安らかな顔になるし、たとえそうでなくとも安らかな顔にプロがしてくれるだろう。
 
ペルリューの島で戦い、殺された日本兵は、顔とか顎を切断されて、金歯をくり抜かれたという話だ。
スピルバーグのドラマでもそのシーンはあった。
戦争はどんな時代にも「狂気」を再現する。
そんな場所ではもしかしたら安らかになることはできないのかもしれない、死のあとでさえ。
 
だから「箱の中の彼」のように生きれたらそれで十分なのだと思う。
 
また結論のない話になった。

#659 ギターをウクレレみたいに弾けんもんか?

炎上ジャズギター!: ギターの5弦6弦を封印せよ! 簡単コードでお気楽ジャズギター!?移動ドで唄って相対音感を身につけろ! 歌心とギターをリンクさせる秘術を大公開! ゴリラから見た音楽理論シリーズ (ハンサムレコーズ)

 
人間の指は親指を除けば4本しかないので、
やっぱりセーハ(Fのコードで人差し指で1-6と押さえるような押さえ方)とかそういう無理な押さえ方はやめて、 4本の指で弾くべきだ。
そうなると、ウクレレとかベースとかバイオリンというのは非常に理に適った楽器であるのですよね。
そしてギターは6弦あるけど、下の二つに目をつぶって、上の4本で考えると、ウクレレと一緒の音の進行になるのでした。
(ベースの4本はギターの下の4本と同じで、バイオリンのそれはまた違う)
それをマスターすると、高音弦を使ってコードを奏でるようなレゲエとか、おしゃれなコード伴奏にはいいんじゃないの?
そう思って自分はウクレレ奏法を今勉強中なんですよ。
 
・・と言うと、
ボサノヴァギターの達人こと S 先生は、
「名言やな 後世に残るかもしれんね メモしとかんと」と、笑っておっしゃってくださった。
とあるライブハウスでの話です。
 
そんなわけでこの本を熟読しとります。
 
今 Flatというソフト(アプリ)で楽譜をシコシコ作ってるのは、ユーミンの「ルージュの伝言」で、
彼女の無駄のない歌詞と進行は記譜してると勉強になるので、
楽譜をネットで買うという方法以外に、
こうやって手間ひまをかけて入力してゆくという行為も実に勉強になります。
(こうやって自分に言い聞かせないと馬鹿みたいな労力ですからね)
 

#658 生きるにも、死ぬにもいい日。

 
2022/06/12 14:19
国民は、かつての対戦のとき、大本営発表のニュースを信じた。
神風は吹き、玉砕の名で死は美化された。
しかしながら、戦争が終わったという陛下の声は、8月15日にはどうもきっちりと流れたというではないか。
きっちり流れなかった南の島では、ジャングルや洞窟にこもり、ゲリラ戦を戦後も続けた兵士たちが居た。
歴史とは愚かさの繰り返しでしかないのかもしれない。
後でみて間違いだったとしても、権力者は「そのときの真実」を信じ込ませようと時にする。
三津浜でDD4Dのクラフトビールを飲みながらそんなことを思う。
シャッターで木陰を作ってもらった若いカップルが楽しそうに店の方と話している。
涼しい風が遠くない海を伝って吹いてくる。
我々4人もなごんだ酔っぱらいのままで椅子に座って杯を傾けている。
いい午後だ。
きっと、死ぬにも生きるにも。

#657 昨日の夜はホワイトアスパラで作って飲む。

 
昨日は平日なのに、なんだか料理をしますかねえという感じ。
というか精出して作っとかんとバチ当たるよなあという感じ。
なぜかというと、北海道からホワイトアスパラガスが届いたのであーる。
ふるさと納税ではあるけど、出荷期間はこの時期だけだからなあ。
まぁ仕事の隙間を縫ってなに作ろうかと考える。
 
前菜は、ねぎとろと刻みネギとアボカドを「ぽんのこ」であえた一品。下に敷いてあるのは焼きビーフン。これがまたいい。
そしてフランス産ののオレンジワインと合わせてスタート。
 
やっぱりアスパラガスはゆでたのがいいのだろうということで、
ホワイトアスパラを、むいだ皮とかそういったものと一緒に水から茹でて、オランデーズソースと卵黄ベースのソースを作っていただく。
前日作って残っていたアンチョビソースに残った卵白を入れてそれをかけていただく。
この2種類がアスパラの食べ方。
 
ベーコンとアスパラの削った皮のソテーには、オランデーズソースをかける。
 
そして、茹で汁と、残った皮とか、ポキンと折った根本も入れて仕上げる生の米から炒めてのリゾットも。
もうちょっとアルデンテだったからったほうがよかったのかもしれないけど、これはこれで最後のご飯としては良かった。
 
デザートにブルーベリーのロールケーキ(これは自作ではない)をいただく。
 
そんなミニコース風で作ってみました。
 
いやー作り始めてから片付け終わるまで2時間半だよ。
「しんどいけど、これがリア充」というと、その言葉はほぼ死語だと娘に^^;