だからオレは泌尿器科医でおしっことちんちんの医者なんだってば!(2)

生きる速さで書きなぐることができたらいいのだけど・・

#672 病院/家/病院/家

 
朝早くから呼び出しで病院へ。
 
家にいるのか、病院からちょっと家に帰ってまた病院に帰ってきているのか、どちらが主体かわかならい。
だから小刻みに時間を区切ってできることをつまみ食いのようにしている。
 
それがいいことなのかどうかわからない。
 
昨日あることに触発されて、
RICOの2.0のテナーサックスのリードを島村で購入した(今は別のメーカーの2.5を使っている)。
なぜか30%offだった。
自宅で、柔らかいリードで吹くと、確かに低音の鳴りは良かった。
でも音のblow感は2.5が勝ったので、しばらく二股で練習しようと思ったりした。
そうやってあっという間に時間だけが過ぎていった。
いずれにせよ、相変わらずアンブシェアは甘く、間抜けな音しか紡ぎ出せない。
「Blues in the closet」という曲をやって、
これをバンドでやりたいなあと思った。掛け合いでね。
ギターとベースとドラムと、そうなると自分はやはりサックスだろうな。
それで今度はDTM(logic pro)の入っているマックの前に座って、デモを作り始める。
そうやって時間ばかりが過ぎてゆく。
 
お酒を、自分の意志で選択しない「ソバキュリアン」の記事を読んだ。
うなづけるものがたくさんある。
自分のことは自分で律することの大事さはわかる。
家でお酒飲むと、そのあとはもうヘロヘロだもんな。
 
でもお酒で自分のいろんなことを解放してやることも大事だと思う。
昭和だね、考え方が、と言われたらそれまでだけど。
それをお酒に頼ることは邪道かもしれないけど、やはり頼る。
頼りすぎるくらいに頼る。
 
結論としては、やはりお酒とうまく付き合うという、それだけの話ではあるのだけど、
いまだに距離感が掴めない。
 
距離感を掴みかねるのは人間関係でも同様なのだけどね。
 
全く生きてくのは難しいよ。
 
コロナ君にはこの気持ちはわからんだろうけどね。

#671 Bye-bye

 
夜の河を渡っている
腰から下の感覚がどんどんなくなってゆくのがわかる
あゝ もうおれは沈んでゆくのだなと思っていると
霞んだ視線の中で
水面がキラキラと踊り出す
夜はそして しんしんと ゆっくりと やがて大胆にあけてゆく
 
そして おれは
そして おれは
一歩を繰り出す
また 一歩を繰り出す
 
頭の芯はいつも覚めているのだと
君はいつもうそぶいていた
coolだね あんたは
おれも適当に調子を合わせていたんだ
二人で限りなく杯を重ねたよ
夜が狂ったリズムを奏でてたんだ
頭は生きているうちに使わなくっちゃね
だって人生は短すぎるよ
恋をするにも
駆け抜けるのにもね
 
残骸になる前にあっちにおさらばしたあんたに
あっちの様子を今更聞いてみたいかもしれない
どうだい まだ覚めてるかい ってね
 
でもおれは
夜の河を渡って
 
夜の河を渡って
朝日の中に還ってゆくよ

#670 ショコリキサーの思い出

昨日の夕方、GODIVAのチョコリキサーを満を辞して食べた。
あれはお腹のコンディションに非常に左右されるものなので、いつでも食べれると言うものじゃないからね。
歳をとってくるとさらにね。
娘と一緒に席に座って食べた。
店内で食べると10%プラスされるという事が書かれてたけどいまだに理解できないですね。
 
なぜショコリキサーなのかというと、
何故かショコリキサーの記憶は結構鮮明であり、今回ので4回目だと言うことなのだ。
 
1回目は、おそらく家族で倉敷に行った時に、三井アウトレットモールで食べて感動したのだった。
 
そして2回目は、ずっと昔、コロナの前にリアル学会に関西のほうに行った時に、きっと伊勢丹とが三越とか、そういうデパートで、1人でスーツ姿で食べたのだった。店員のお姉さんとしょうもない話をしたけど、内容までは覚えていない。
 
3回目は夏の思い出だ。
岡山駅前にできたイオンモールに、1人で?なんだろうな、高校の同窓会の翌日だろうか?岡山芳泉高校の同窓会が開かれて、その翌日にうちの弟のやる親父バンドのライブがあると言うので昼から出かけてって、そのイオンモールを探索して、1人でショコリキサーを頬張ったのだった。
そこから延々と炎天下の中を歩いて、西川をよぎって、さらに延々と歩いて会場に行ったのだった。
 
あの時は親父もまだ生きていた。
弟のバンドの演奏が終わり、会場の入り口で親父と何か話した記憶がある。
遠くに蝉の声が聞こえてきたような気もするが、あれは錯覚だったのかもしれない。
 
そして僕は岡山からJRで松山に帰ってきたのだった。
親父と駅で牛タンを食べ、親父は飲めない酒を頼んだ。
いわゆる仙台の銘酒3杯の飲み比べみたいなやつだ。いっぱい飲んでもう目線が彷徨い出して、残りは自分が飲んだ。そしてその店で別れたのだった。
 
人生が終わるときには、走馬灯のようにいろんな思い出が浮かんでは消えると言うではないか。
今の61歳の自分の、それまでの人生の走馬灯としては、毒にも薬にもならないまぁ無難な思い出なんじゃないかな。
ショコリキサーの思いではね。
でも、もう4回食べたので十二分かな。

#669 電気バイオリンの試奏をしてきた。

Electric Beauty

何かで原田芳雄さんが言っていた。 

「死ぬ時には後ろ向きに倒れてはいけない、 
前に向かって 倒れて、 地面に顔を埋めるように死ぬんだ」 

それがどういう意味だったのか よく覚えていない。 
ネットで検索するけど、そんな言葉が出てこない。 
ただただ、自分の中で妄想が膨らんでいっただけのことなのかもしれない。 
でも多分自分はそんなふうに死ぬことはなく、どうしようもなくしょぼい死を選ぶのだろう。 
まあ死ぬことにりっぱな死もしょぼい死もないんだけどね。 

疲れているというのが 昨今の日々に対する印象だ。 
何か楽しいことをしても、結局疲れは取れないのだ。 
コロナの残滓が全てを覆い尽くしているような気さえする。 
でもコロナがある前からそれは同じだったような気もする。 
お酒に酔って、一瞬いろんなものを麻痺させて、それでしのいできただけなのかもしれない。 

古い文脈や、 
古い思考しか操れない自分だということをわかりながらも、 
その自分からなかなか脱却できない。 

だから、 
永遠に続くお経やら呪文みたいなbeatくらいしかないじゃない、踊れなくっても。 
って思った。 
そう思って lo fi popやら、 
ギターのコードを奏でるよりも、バイオリンでエレキなサウンド追求するのもありかなと、 
昨日島村楽器で、YAMAHAのエレクトリックバイオリンを弾かせてもらったりもした。

#668 そんな日々

Jim Morrison

 

■コロナとか仕事以外の些細なことどもを。
 
■ブティックの前でひとり佇んでいる。
「今日は、この店はドバイの富豪の貸し切りだから入れないですよ。だから待っても先生、ダメなんですよ。」
声がして横をみると、うちの受付の女の子が私服で立っている。
「だから、先生、私と映画でも見ましょう。」
おお、それもいいね。
 
そんな夢を見たと、朝、彼女にあったので言った。
 
ウオッカと焼酎とロゼワインが見させてくれたのかもしれないよ。
 
■その勢いで、昨日拓郎の「落陽」を歌って、logic proで音を重ねて録音してみた。
朝聞いたらやたら叫んでたなあ。
酔っ払いなのに、ギター・ボーカル・ベース・キーボードとちゃんと重ねてるよ。
 
吉田拓郎さんの最後のTV番組を観た。ああいう思い切りもある。
今年いっぱいで引退だと、最後のCDも世代の若い奴らと作り上げた。
引退は死ではない。だから大丈夫。
そう思っても死にひかれてゆく。引き付けられて行く。
島田陽子さん。原田芳雄さんも大腸癌だった。
 
■ドラッグで死んでいった60年代のロックスターたち。
ジムモリソンの映画を観た。
あまり評判のよろしくないオリバーストーン監督の「ドアーズ」だけど、でも自分は結構好きだ。
ついでに書くと、ジム・モリソンの墓はフランスにある。
 
■朝、豆をカリタのグラインダーに落として、スイッチを入れる。
落ち着く香りが部屋を満たしてゆく。
僕は、夏も冬も、入れたての熱い珈琲が好き。
 
■昨日も一山超えた。
なんとかやった、やり抜いたと思う。
あと何度こんなことをくり返すんだろう。
でも慌てないということは、少なくない人生で少しは学習したはずだ。
 
■ジムモリソンの歌をやりたいなとさっき思った。
Light My Fireという歌だ。
 
■ギターも上達したい。
久しく描いていない絵も遠くで手を振っている。
島村楽器のピアノの発表会も9月だ(これだけが不安)。
8月にはゲストで、ミカ音楽教室の発表会で、ピアノに合わせてバイオリンを弾く。
 
そんな日々。
 
 

#667 Graveyardの月

Graveyard

 
今夜の月はやけに綺麗だねえ
 
おいおい べそかくんじゃないよ
だいのおとながみっともないねえ
なに あのばあちゃんの作ってくれた草餅を思い出した
あはは そりゃ仕方ないか
 
そうだね
今までいろんな終わりに出会ってきたけど
考えてみるとそれは必然のことだったのかもしれないよ
まったく そうかもねえ
 
振り返るわけじゃないけど
奇跡みたいな人生にも出会ったこともあったなあ
だって そもそも生きてることが奇跡だからね
生と死は繋がっているからわしはなぁんの心配もしとらんぜ とも言われたけど
それを聞いたときにはその意味するところがよくわからなかったっけ・・
 
終わりは誰にも等しく訪れ
雨は大地を濡らしてゆくだろう
 
いつか観た映画のような1シーンが
脳内で再生され続けているんだ
カンカラいっぱいくくりつけた霊柩車が音を立てて走り去るんだ
あんたを乗せてね
あんたの亡骸を乗せてね
何度も 何度も再生される映像には
もはや懐かしささえ覚えている
 
雇われた泣き女が号泣する
雇われたちんどん屋が太鼓を鳴らす
 
歪んだ空気の向こうに
ジム・モリソンが笑いながら立っている
オルガンが不協和音を鳴らす
あのメロディを口ずさんでくれよ
あのメロディを奏でてくれよ
 
海が割れて 現れた白い砂浜からは
磨かれたような 真っ白な骨が突き出している
 
死んだからって 人間そう変わるもんじゃないんよねえ
だから心配すんな
笑いながらじいちゃんは盃を傾けた
死ぬ前にもう一杯でっかい盃でしこたま飲みてえなあ
あんたにそれを許す勇気はあるかい 
おれの主治医の小僧先生よ
オーベンに怒られるぜ
それでも やってみるかい?
 
こんなことなら
こんなことなら
あの時 あなたに
子犬みたいに飛びついて
あなたのほっぺに 
ベロベロ ベロベロ するんだった
 
そんなそれも
こんなこれも
あんなあれも
 
朝がきたら
みんな消えてく
薄くなって
白んだ風景に溶けてったよ
 
白い月が
明るい空に
かろうじて残っているのが見えた
 
そう
白い月さ
白い月さ

#666 水溶性下痢と外来診察と中華粥までの道のり

*後ろは釜揚げ白子の卵焼きです。
 
水曜日は死にかけた。
 
なぜか外来診療の前から便が緩くなり、やがて水状態になり、そのうち止まるだろうと始めた外来中にもう波は最高潮に達していた。
 
院長室で、シャアアと水(そのものの便)を出して、診察室の椅子に座る。
ちょっとでも腹圧かけたり油断すると、容易に堤防は決壊しそう。
 
患者さんを診てて、喋って、ちょっと力を入れたりすると、このままお尻から汁?が漏れてくる予感。
予感で済めばいいけどほんとに漏れたら臭うし、おむついるよなあ、とか思いながらも喋り続け、診療を続ける。
冷や汗が出て、嘔気までして、やがて目の前が暗くなる。
数人患者さんをみては、そろそろ力を入れないようにトイレに行ってシャアア、それの繰り返し。
そんなやばい感じで、なんとか昼まで持ち堪える。
 
水分も朝で最終なのに、どこにこんな水分があるのだろうというくらいのシャアア。
 
コロナの症状下痢というのも数%にはあるので、熱も測るが平熱。
14時ぐらいからちょっとずつ回復。
でも今度は脱水のせいだろうか?頭がぼんやりするのは変わらず、なんとか持ちこたえようとして踏ん張らないように踏ん張る午後の外来も、夕方もラッシュで超過。
 
ご飯当番なので、
こんな時は体にいいものをと、圧力鍋で、青梗菜と椎茸と生姜とネギでで中華がゆを作っていただく。
この一粒一粒が細胞に染み込んでゆく感じだ。
自分で作ったものがほんとオイラの命を助けてくれる感じだ。
 
片付けして、風呂に入って、そのままぐったり眠るのだけど、体重はー1kg(といっても自分の豚豚体重にとっては微々たるものだけど)だった。
 
そんな水曜日。