だからオレは泌尿器科医でおしっことちんちんの医者なんだってば!(2)

生きる速さで書きなぐることができたらいいのだけど・・

#431 だから今日も明日も明後日も、 我々は人生という名の(酒場という名の?どっちだ!)旅を、幾度と無く続けるんですよね。,at 2018/02/24,night.

えらく、あいだが空いたけど前回の続きの話です。長いです。

 
愛媛大学泌尿器科には5年くらい在籍した。
30代の中盤をそこで費やしたことになる。まあいろいろあった。
医者というのはチーム医療のようであり、個人的でもあるのだなあと、今になって思い返す。
 
まあ、ほんといろいろあったよな。しみじみ。
 
今は、「自分の病院」ということで、病院という「チーム」で物事にたちむかっているので、昔よりももっと「塊でことに接している感」は増している気もする。
でも、振り向くと後ろには誰もいない感じも、常に同時にある。
ほんと併存してるんだ。
だから、自分を、自分を信じられる「自分」を作るために日夜努力はしているつもりだ。
 
それは簡単に言うと決して手を抜かないということだ。
当たり前みたいだけど、何事に関しても、「まあいいや」と思った瞬間から没落ははじまるのだから。
それと病気で休まないことかな。
決して精神的にタフなわけではないので(皆さんは嘘ぉと思われるかもしれないけど)、悩みは多々ある。
でも生死に比べたらそんなもんは取るにたらぬことだ、そう思うことにしている。
 
まあ、たとえおれがこの世から消えたとしても、その事自体も瑣末でしかないのだけどね。
 
なんか話がずれてゆくので元に戻すと、
愛媛大学の5年間でそれなりに医者としても進歩した。
(そりゃそうだよね)
 
泌尿器科って実は「外科」なので、やはり大学病院っていう基幹病院ということもあって、いろいろな手術もさせてもらった。
腹腔鏡手術の黎明期で、静岡に研修にも連れてってもらったなあ。
 
でも、やっぱりそれらは、「大学病院」とか「医局」という「場」に守られた医療だったのだ。
それを開業してから嫌というほど思い知らされる。
「親方日の丸」という言葉があるが、
自分個人が医者としてその頃信じていた「資質」は、実は「愛媛大学に属する医師」としての「資質」でしかなかったのだ。
技術とか能力と、それはまた別の次元において。
開業して「一人の医者」として診療をはじめて、いろんなことに気づいて、うちのめされて、
それで、ややタフになって、自分でイチから作り上げてきたものどもを思うと、感慨深い。
だから開業して、気づいたという点では、開業はプラスだったのだと思う。
こればかりは開業したヒトにしかわからないことですけどねえ。
 
大学勤務だから、教授に言われて(自主的ではありませんでしたねえ残念ながら^^;)研究もした。
バイトとか日常業務とか、手術とかに追われた中で、色んな人の助けを借りたり、論文を図書館で探したり(その頃はまだインターネットの黎明期だった)したなあ。
実験に使われたネズミさんたちにも感謝。
実験の方法を教えてくれた元同級生のS先生にも感謝。
自分の拙いアイデアに具体性を加えてくれた基礎の先生方や、的確なアドバイスをくれた教授にももちろん感謝だ。
 
結論から言うと、執念で「博士号」もとった。
実験だけでなんとなく終わる人も周りにたくさんいた。
自分は開業を決めて、大学を出て、日赤で2年弱の腎臓内科の研修をしながら、その間に英語で論文を書いて、
何回も外国とやり取りをして、やっと採用されたのだった。
アクセプトっていうのだ。
英語でacceptの知らせが来たときには(やはりネットではなく手紙のやり取りだった)、やったねという感じだった。
そして、開業してから審査を受けて、博士号をもらった。
長い年月だった。まさに執念だね。
だから、病院に展示されている「乙種博士」という紙切れが素晴らしいのでは決してない。
それにかけた努力とか執念が、自分の矜持になっている、そのことが素晴らしいのだ。
 
そう思う。
 

 
なんでこんな話になったかというと、
先日の夜の続きになるけど、
アマンダさんと入れ替わりの感じで、かわゆい女の子が二人やってこられたのだった。
あいにくカウンターに空きがなかったので、彼女たちは2Fに上がっていったのだけど、
アマンダさんが帰って、下の席が空いて、彼女たちが降りてきたのだった。
いろいろ話しているうちに、お母さんが大学の泌尿器科に勤められてた、という話になった。
 
で、彼女の名前をかんがみるに、
「ああ、S子さんだぁ!」ってなったのだった。
 
大学の泌尿器科の医局には常勤の秘書さんがひとりはいらした。
自分はその夜、われわれのお母さんみたいに接してくださったS子さんの、まさにお嬢さんと飲んでたのだ。
びっくり。どっきり。わくわく。
なんか胸が熱くなってきたよ。
自分にとっては、一時期ではあるが、
同じ職場と空間と時間をともにしたS子さんの素敵なお嬢さんの日常の片鱗も伺うことができて、
その横のクラスのマドンナの方の絵も描かせていただき、
われわれおっさん二人は天にも昇る気持ちになったのだった。
 
でもこんなことってあるんだね。
 
もしかしたら、今までもそうやって色んな場所で、巡り合うべき必然の方と何気なくすれ違ってるのかもしれないね。
ホント人生って面白いね。
 
だから今日も明日も明後日も、
我々は人生という名の(酒場という名の?どっちだ!)旅を、幾度と無く続けるんですよね。