だからオレは泌尿器科医でおしっことちんちんの医者なんだってば!(2)

生きる速さで書きなぐることができたらいいのだけど・・

#553 映画「yesterday」を観た、そして久々のジョン・レノンのこととか、59歳になったこととか。

おはよう世界。
 
ジョンレノンが死んだのは 1980年12月8日のことだったと思う。
その翌年の4月に自分は愛媛大学の医学部というところに入学した。
何度か書いたのでだんだん記憶が捏造されているかもしれないけど、最終の面接の時にあの寒い寒い福利会館の廊下で、ジョンレノンの死んだ後に出たアンソロジーの本を読んでいたのを思い出す。
あれからもう40年も経ったのだ。
そんな自分も 、今日「平成の日」というのかな(去年までの天皇誕生日だ)? で満59歳になった。
半世紀の男とかと言って50歳の時にギャーギャー騒いでいたのに、それからもう10年近くが過ぎてしまったのだ。
 
12月8日は1日中ジョンレノンのことを考えていようと、その時(そのときって一体いつなんだ?)に思ったのだけど、いつのまにかそんな思いは消えてしまった。
と言うか、思い出すこともなく、街にジョンレノンの「ハッピークリスマス」が流れることもめっきり減って、そんななんやかやで、どんどんどんどん忘れていって、12月も末くらいになってからから一瞬だけ思い出すような日々だ。
それがリアル。
 
そしてふと思った。
ジョンがこの世に降りてこないのなら、こちらから会いに行けばいいのだというようなことを。
それは願えば叶うんじゃないのかな?
「イマジン」の歌詞みたいに。
 
 ビートルズがない世界に 突然に合わせることになったミュージシャンの男の子の人生を書いた映画「yesterday」を観たんだ。
 
公開中の映画なんで あんまり詳しいことは書けないけど、ビートルズのいなかった世界に、ビートルズを知っている ミュージシャンの彼が いるというそれだけでなんとなく映画のストーリーは察しがつくと思う。
 
今でもビートルズはやっぱり 偉大だ 。
でも自分の中ではやはりビートルズではなくジョンレノンだったのだろう。
どちらかと言うと、亡くなった後でジョンレノンに接する機会が多かった自分だけど、そのジョンレノンが今生きていたらどうかなんて考えることに意味があるのかどうか分からないと思いながらも、やはり時に考えてしまう。
それは清志郎さんにだって言えることだ 。
でも彼らはきっと言うんだろうね going on your own wayって。
 
分かったよ 分かったよ。
死んだジョンレノンの顔は恥に満ちていたかもしれないけど、それから 40年近く経って ジョンレノンは、自分の中ではあの「twist&shout」の青年に戻っている。
 
死んでいた人は 年を取らない。
年をとった自分が、むしろ若い時のジョンの中にあるものを今更のように発見したりするのだ。ずっと昔からあったはずのものなのに今更ながらに気付かされることが、そして世の中にはなんと多かったのだろう。
だから、風の匂いも、あのむせるような花の香も、くそうっとおしい蕁麻疹やら花粉も、全て享受して慈しむしかないのだろう。そんなもので世界は満ちている。満ちていたんだよ。
 
ありがとうジョンレノン、 俺は59歳になったよ。