#722 大竹伸朗さんと展覧会と生きること
それは東京の展覧会でも同じような光景だったのだろう。
夜になったらライトアップされるのだけど、残念ながら自分はライトアップを見ていない。
大竹さんの なんていうんだろう、コラージュっていうのかな、いろんなものを寄せ集めて混沌から芸術を作ると言う手法は以前から知っていたけど、この物量と圧倒的なパワーにやられてしまった。
それは かなり自分の嗜好に近いとこにあったので、あまりにも馴染んでしまって、なんていうのかな、
畏敬の念を感じるというよりは、
ニヤニヤしながら、ほんとにふむふむとうなづく感じで通り過ぎながら作品の中を練り歩いたのだった。
潰れたスナックからとってきた看板で作った掘っ立て小屋とか、
大竹さんがコンソールをいじると演奏する無人のバンド小屋とかそんなものを見させてもらった。
大竹さんは多分68歳位だったかな。
今ちょうど愛媛新聞で「衝動を導に」という連載記事が載っていて、それにちょっと素敵な言葉が載っていたので引用させて貰います。
60歳を超えたいま、 大竹は思う。
「意味を問う ても答えがないこと、ば かみたいに繰り返すこと でしか分からないことが ある。
効率が悪く意味が ないように見えても、そ れを超えたところに本質 がある」。
自分にとって は絵も同じだった。
理屈 もない。
描き続けないと 絶対に起こらない「何か」を求め、手を動かすしかないのだ。
「どんな学校でどんな 先生に学ぶより、1年間 を過ごした別海が一番の 先生だった。最大の学校だったんだ。」
(敬称略、中田佐知子)
大竹さんは大学に入ってすぐに北海道の牧場に行って1年間芸術と関係ないハードな生活を送った。
それが北海道別海町の牧場の所以だ。
そして俺も今更のように思うのだった、
立ち止まってはいけない、動き続けなければいけないんだってね。
死んだ原田芳雄さんがどこかで言っていた。
死ぬ時はな、前を向いて倒れないといけないんだよね。
後見て倒れちゃいけないんだよねって。
なんだか今急に思い出したよ。