だからオレは泌尿器科医でおしっことちんちんの医者なんだってば!(2)

生きる速さで書きなぐることができたらいいのだけど・・

#413 「半身浴の油淋鶏」とか、instaでrecipiをかいてみる。

https://www.instagram.com/p/Becy5_pn0bh/

「半身浴 油淋鶏」【レシピ】もも肉は厚いところは切り目入れて平たく。皮にはプスプス穴を開ける。塩コショウして、片栗粉をまぶして、フライパン1cm弱の油で皮から焼く(皮の油も取り込む作戦)。そんで両面に焼き目がついたら、蓋をして揚げ蒸しに。ソースは、しょうゆ2、酢1.5、はちみつ2、ごま油1、そしてねぎの刻んだモノ。よおく色づいた肉をねぎを敷いたボウルに入れて、上からソースをかけて軽く混ぜて完成。名付けて「半身浴油淋鶏」、色っぽいでしょ!ソースが油と程よく絡んでごはんとの相性バッチリの一品となりました。つけあわせは焼き野菜に、ディップソースをつけて。え。 #うちごはん #notdiet #しんすけsきっちん

 

自分で思いつきで作った料理を、メモとして残しときたいなと思った。
音声入力とinstaがやっぱり手っ取り早そうに思えたので、喋って入れてみた。
tagづけも慣れてはないのだけど、「しんすけsきっちん」とかしてみる。
英語でなんちゃら’s recipiとかかっこよく行きたかったんだけど、なぜかなんちゃらのところで止まるので、ひらがなにしてみた次第。
それをこうやって、ちょっと言葉を追加にして今度はblogに残してみる。
なんか、考えすぎてなかなかblogの更新が停滞しがちだった。
でも、よくよく考えていると、この「おちんちんblog」は自分のための備忘録でもあったはずなのだ。
だから自己満足かもしれないけど、こうやって残してみる。

この文章のために、新たに取り入れたのは、
#remoto mouse
#G board
というスマホ用のアプリだったりする。
前者は、PCにiPhoneからしゃべくりで入力できるようになる得画期的なもの。
後者は、iPhoneGoogle音声入力付きのキーボードが使えるというもの。
そして、自分の備忘録という意味でのblogの位置を改めて教えてくれたのは、
「人生にゆとりを生み出す知の整理術」というphaさんの本だ。

 

www.seojapan.com

rinyan.net

人生にゆとりを生み出す 知の整理術

人生にゆとりを生み出す 知の整理術

 

 

#412 「日出処の天子」から「Devilman crybaby」に。

山岸凉子『日出処の天子』古代飛鳥への旅 (別冊太陽 太陽の地図帖)

 

なんだか遠くまで旅をしてきた気分だ。
 
そしてもう元の場所にはどうやったって戻れないのだということを今更のように認識する。
 
日出処の天子」のラストあたり、愛するものに嫌われてしまった聖徳太子がひとりで座している。
 
たくさんの天空仏が太子の前に現れる。
彼らは何も語らない。人が作った仏の象の形をしてそこにあるのみだ。
 
ふーんなるほど、自分でも自分を救えぬものの前に現れるというわけか?
それにしてはそなた達が何者をも救わぬのをわたしは見てきたぞ。

 

そう仏は誰も救いなどしないのだ。
天使とか仏とか如来とか、そんな神々しい形をしてそこにあるのみなのだ。
彼らと呼べるのなら、彼らは、我々人間の愚かしい営みなどには興味なんぞ抱いてはいない。
だから、嘲笑いもしないし、無視もしないし、救いの手も差し伸べやしない。
神は天におわしますのみだ。
 
そんな単純なこともわからずにいたのか?
 
Netflix で全世界同時配信をしている「デビルマンcrybaby」全10話を観た。
 
1話が25分ほどだとすると、250分の超大作だ。
たぶん原作と同じエンディングを用意した作品は、多くのデビルマンの中でもこれが初めてじゃないんだろうか?
エロく、グロく、悲しくて、純粋で、そして切ない物語だった。
牧村美樹ちゃんが惨殺されるシーンもちゃんと描かれていたよ。
わかっていても、結末はわかっていても、目を背けることも許されない。まるで現実みたいに、おれは頭のなかで何度も何度も、10代の頃からそのシーンを再生し続けて57歳になったんだから。
あの頃のおれはペシミストを気取ってた。たしかに人間には救いはなかった。
でも、そんな若造も、そうやって人間界でもう57年も生きてきたんだ。
エクスキューズなんて出来なくなったんだから、ちっとは顔を上げてもいい。
ああ、でも、それはおれの個人の物語。
それを語る舞台ではなかったよ。
 
そうなんだ、結局、不動明は愛する者を救うことはできない。
そうなのだ、誰も誰かを救うことなんてできやしないのだ。
それに気付いた時、もうヒトは元いたの場所に戻れないことを思い知らされる。
だから Cry Baby 暗い夜に、
Cry Baby、 戻れない。
 

#411 「日出処の天子」山岸凉子(白泉社文庫・全7巻)やっと読み終えました。

日出処の天子 完全版 7 (MFコミックス ダ・ヴィンチシリーズ)

元旦の晩御飯の片付けを終えて。
山岸涼子さんの「日出処の天子」(少女漫画の名作、聖徳太子の話!)を、実はずっと前から読破しようと思って家人から借りていたのを、半年ぶりぐらいに引っ張り出してきて読み始めました。
昨日の二日、仕事を終えてピアノのレッスンを終えて帰ってきて、最後の一冊を読破しました。
この物語では、聖徳太子は同性愛嗜好者でもあり、非常にクレバーで仏教の経典にも深い読解力を有しており、その上超常能力を有しているという、そして権棒術数にも長けて無慈悲に不要なものを切り捨ててゆくという、1万円札からは想像できないキャラとして描かれているのですが、それが日本の歴史とシンクロしているというなんとも摩訶不思議な物語でありました。
自分は2016年の9月に法隆寺を訪れたわけですが(小学校以来?いった?)、その時は9月だと言うのにまだ非常に暑く、足も棒のようで、とにかく広い境内を歩くのがやっとという感じだったと記憶しております。つまり聖徳太子どころではなかったのかな。
宝物館とかではさらにギブアップだったということしか覚えておりません。
そちらに玉虫の厨子の復元モデル(レプリカ)があって、それはそれはこの世のものとは思えぬくらいきれいなものでした。
最近いろんなところで、もとの時代のきらびやかな色彩とかを復元した CG とか、こういったレプリカとかを見るんですけど、そういった形を庶民が崇拝したということはうなづけます。往時の仏教ってど派手だったんだと思いますよ。東大寺の大仏さんだって本当はきんきらだったんだろうからね。金箔だからね。仏像は形でありますが魂を込めた入れ物だったんです。 でも、そのために、一般の人たちがどれくらい犠牲になったかを考えると、宗教とか国家というものはますます信用できなくなってくるんですよね。
この話、聖徳太子と関係有るようでないようで、やっぱりあるんだと思います。
まだ仏教が完全に日本に根付く前の、神道vs仏教、朝廷と豪族の関係、新羅百済、そして隋の国、そういった混沌の中に、日本はその形を作っていったのですから。
この「日出処の天子」の中に、「仏は誰も救けない」というふうに太子がつぶやくシーンがあるのですが、仏はたしかにおわしめすだけ、衆生を見られているだけの存在なのかもしれないなあ、と、宗教心のない自分は妙に納得したのでした。
そしていつの世にも、ヒトの煩悩やら悩みなんて変わることないのだなあという、安堵と諦念も。

#410 師走の前の日と、「ゴボウのスパイシーサラダ」

 

#今日も透析があるので病院で仕事をしてます。

病院では、毎日非日常のようなことが、日常として起きてます。

今日も朝から悪い患者さんがバタバタと続きます。

それを日常として生きてる医療従事者の日常も、考え方によってはちょっと異常なのかもしれません。常に疾患を有している弱者という存在を相手に生きている世界で、正常でいること・いつづけることは、非常にストレスフルなのかなあと、我が事なのに他人事のように考えております 。

こんな世界で自分を律していつづけることっていうのは、やはり非常にハードなんだと思います。

 

#今日も隙を見て、「男性下部尿路症状診療ガイドライン」に沿って原稿を作っているのですけど、最近のガイドラインによくあるCQ(クリニカルクエスチョン)の解説を具体的にしていこうと思って始めたら、かなりの大作になりそうです。

もう時間超過で他のことが喋れないくらいね。

実際の臨床で、一開業医が、どういうふうに考えて対応しているかっていうことに関する「虎の巻」みたいになりそうですよ。自分にとってはまあ当たり前の事共ではあるんですけどね。まあ単なる自画自賛かな。

でも、これは製薬会社の方にとっては絶対役に立つ内容じゃないのかな?

ほんと自画自賛のおっさんですね^^;

 

#昨日の夕方、仕事を終えて帰るとうちの娘が台所に立ってiPhone眺めてます。いやあ、今時はみんなこんな感じでレシピ決めるんよねえ。

で、娘に「なにつくっとん?」と聞くと、「うーん」といういつもの曖昧フレーズ。

昨日は彼女がうちごはん担当だったのです。

 

大根を煮込んでいるので「それだけ?」

「・・・・」

返事ないので、「じゃあおとうさんも一品作ってもいい?野菜余っとんのがあるんよ。」と。

なので、ちょっとごぼうを使ってと思い立ってサラダを作ったので久々のmemoを。

あとの一品は、うちのお嬢の作った、大根と焼豚の柔らかい感じの煮込みでした。ゆで卵が入っとるのがなんか微笑ましい感じでありました。

 

ゴボウのスパイシーサラダ


【材料】ごぼう1/2*3本 ニラ一把 レモンの皮少々 マッシュルーム好きなだけ モッツァレラチーズ 大根の薄切り

醤油小さじ1・塩コショウ酢少々・マヨネーズ適量・コーレーグース適量

 

ごぼうは皮をこそげてスライサーで細長い断面にしておき、酢水に浸す。

ニラは自分の好きな長さに切る。

モッツァレラチーズは手でちぎる。マッシュルーム薄切りに。

大根はいちょう切りにして塩で揉んでしばらく置いておく。

ごぼうをざるにあげる。鍋に水と塩少々を入れてごぼうを入れて、沸騰して30秒ぐらいであげる。同じお湯でニラも20秒ほど茹でる。

ボウルに素材をぶち込んで、亜麻仁油と塩少々入れてもんで、マヨネーズとコーレグースと絞ったレモンで味を調整する。

 

#409 2017年12月29日

Fiddling

(いつかこんなんやってみたいですね)
 
透析があるので病院で仕事をしてます。
 
今日は病院のワックスがけも並行して行なわれてますのでなんだか余計に落ち着きません。
まあ、昨日はえらく遅くまで飲んだので、体がだるく、案の定二日酔いのていであります、ってえのが実際のところですかね。
 
2月に製薬会社の社内講師を頼まれているので、その原稿を、下調べしながらちょっとずつ作っています。
いろんな講演会を製薬会社が偉い先生を呼んでくださって開いてくださって、 Web にもいろんな情報が溢れていて、そんな中で、実際薬のプロモーションをしている製薬会社の社員数人のために何を話したら響くのかなあ?
・・・という風に懐疑的に思ってしまいます。
引き受けるたびに後悔が先に立つようになりました。
みんなよくやるよね。すごいなあ。
 
そういったこととか、いろいろ、やらなければいけないことを明確にして、計画を立てて来年を進めていこう、と、毎年年末には思っているような気がします。
だけどなし崩しになっちゃうんですよね。頑張らなければ。
 
ヒト様から見れば、もう分別ある大人なんだからなあ。
 
昨日はライブハウスY’s Cafeでブルーグラスの忘年会というのがあって、自分の所属しているアイリッシュのグループもそれに混ぜてもらっての参加だったのですが、自分もプレイしたり、興奮してブルーグラスの人のバックでフィドルを弾いたりと、ほんとエキサイティングな一夜でした。
 
本当に世の中には色んな音楽がありますけど、どんな音楽も素晴らしいです。
この数年間は以前よりは音楽漬けの人生を送れて、しんどいこともあるけど本当に幸せ者です。
 
いつ死んでもええなあ・・って最近こればっかり言ってますね。

#408 Talk about…2017/12/24 VOL.9. 祇園精舎の鐘の声

 
今日は12月24日だ。
 
この春に死んだ親父の誕生日でもある。
親父が生きていれば今日で87歳になって、いつものように、こうやって朝起きて、親父の携帯に電話をかけて「おめでとう」という、そんな時間帯だけど、彼はもうこの世にいない。
あの野太い声ももう二度と聞くことはない。
彼は灰になってお袋の横にいるのだから。
 
みんな灰になって消えてゆく。
残したものもやがて薄れて全てが無になっていく。
元々無から生まれてきたのだから、無に戻っていくのは何の不思議もない。だからとりたてて悲しいとも思わない。でも心に空いた穴は他のもので塞がれることはそうそうはないだろう。
 
無宗教で通したので、仏事もくそもない。だから喪中のはがきも出さなくてもいいやと思っていた。でも皆さんの発案で、病院から喪中のはがきを郵送した。だから今年は年賀のはがきもそうそうは来ないのだと思う。
なんかでもそういった一連の儀式みたいなものでしかいろいろ物を埋めていけないのかもしれんなあ。それはいいことなのか悪いことなのか、それさえも理解できないでいる。
 
そういう自分も昨日でまた一つ歳を重ねた。57歳だ。
 
昔からずっとそういう流れだった。
自分の誕生日、親父の誕生日、クリスマスと続いて、そして怒涛の年末からあけての正月というのが小さい頃の我が家の流れだった。
なんか誕生日プレゼントとクリスマスプレゼントが重なるようで、少しだけ恨めしく思ったこともあったような気がする 。まあ昔の他愛もない思い出だ。
 
昨日は家族に自分の誕生日を祝ってもらった。
うまいものを喰って、旨いワインを呑み、最後にちょっともめた。
ぽっかり久々に予定のない日曜の朝、重たい頭を抱えて、今日の日をはじめる。
 
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。
おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。
たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。
 
ああ、こんな昔からヒトはおんなじ思いを抱いて生きてきてたんだ。
 
生きている自分のことだ。
そう、問題はね。
おごることなく、
風の前の塵に成り果てて舞ってしまう前に、
もう少し軽やかなステップで駆け抜けられたらなと思うんだよ。

#407 Don’t let me down ~今年もジョンが来てまた去ったよ~

Imagine (New York, USA)

 

Don’t let us down,don’t let us down
誰が言う きみが言う 僕が言う
Don’t let you down,don’t let you down
君の夢 僕の夢 彼女の夢
Don’t let me down,don’t let me down
あの風の強い丘で 彼女はそれでも歌ってたよ

 

悲しいときにはなぜか笑ってしまうんだ
でもそれは笑顔なんかじゃない
悲しいときの笑顔は
顔面に張り付いた凍ったままの仮面

 

誰もが泣きながら笑って 出会いと別れを見送る

 

海老の背中に包丁を入れる
はらわたを楊枝で引っ張り出す
つるんつるんってうまくはらわたが抜けたら快感だよなあ
そんなふうにオイラの神経もいっそのこと
きれいに抜いてもらえないかな?

 

今夜 今夜 あの場所で会おう

 

なんだっけ、
ジャック・ニコルソンのあの映画で、
インディアンはロボトミー手術で脳みそを焼かれたんだったのかな
脳みそのない彼はもう彼ではないとしたら
自分を認識できなくなった人たちはもう誰でもないんだろうか?

 

どこに行っても壁はある
だったら たどりつくのは彼岸くらいしかないのかな

 

Hey彼女 もうおれを壊さないでよ
Hey彼女 もうこれ以上おれをナーバスにしないでよ
Hey彼女 もうたくさんだ ありったけの愛でおれをめちゃくちゃに引き裂いた
Hey彼女 もうすぐに冬がきて 白黒の景色にみんな溶けてく前に

 

あの風の強い丘で 
あの風の強い丘で 

 

彼女は海に向かって歌ってた
唇を読もうとしたけど逆光で彼女のシルエットしかわからなかった
でも彼女の唄が聴こえた気がするんだ
Don’t let me down,don’t let me down
あの風の強い丘で 彼女はそれでも歌ってた

 

きみにあいたい
もいちど きみにあいたい